翻訳と辞書
Words near each other
・ 法集論
・ 法難
・ 法雨寺
・ 法雨寺 (舟山市)
・ 法雲
・ 法雲寺
・ 法雲寺 (上郡町)
・ 法雲寺 (兵庫県上郡町)
・ 法雲寺 (兵庫県香美町)
・ 法雲寺 (土浦市)
法雲寺 (堺市)
・ 法雲寺 (大牟田市)
・ 法雲寺 (福井市)
・ 法雲寺 (香美町)
・ 法霊神社
・ 法霖
・ 法面
・ 法面保護
・ 法面決壊
・ 法面緑化


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

法雲寺 (堺市) : ミニ英和和英辞書
法雲寺 (堺市)[ほううんじ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほう]
  1. (n,n-suf) Act (law: the X Act) 
: [くも]
 cloud
: [てら]
 【名詞】 1. temple 
: [し]
  1. (n-suf) city 

法雲寺 (堺市) : ウィキペディア日本語版
法雲寺 (堺市)[ほううんじ]

法雲寺(ほううんじ、法雲禅寺 とも)は、大阪府堺市美原区今井にある黄檗宗仏教寺院。山号は大宝山。本尊は釈迦如来河内西国霊場第6番札所。
== 歴史 ==
前身は、空海開基の神福山長安寺(ちょうあんじ)という名の真言宗の寺院であったが、元和6年(1620年)に、狭山池の堤防が決壊し、西除川の洪水により、寺地及び寺は流出した。
明暦年間(1655年~1657年)頃に、曹洞宗の僧・宗月が、長安寺の寺地と寺を今井村中から譲り受け、寛文11年(1671年)に地中より観音像を掘り出し、草庵に安置して再興した。
翌、寛文12年(1672年)に、宗月は宇治・黄檗山万福寺の開祖の隠元隆琦の弟子である慧極道明(えごくどうみょう、1632年~1721年)に寺地と寺を譲り、寛文13年(1673年)に慧極は幕府の許可を受け、寺号を大宝山法雲寺と改め、黄檗宗の寺となった。
慧極は、延宝5年(1677年)に禅堂を、延宝8年(1680年)に鐘楼を建立し、その後、30年をかけて大門、大方丈、開山堂、斎堂、天王殿、長生閣などの二十数棟を整備した。
元禄10年(1697年)に、狭山藩後北条氏の末裔が藩主)の5代藩主北条氏朝は、慧極と師弟の約を結び、以後、北条家の菩提所となった。墓地の中央には、第11代藩主北条氏燕の墓がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「法雲寺 (堺市)」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.